Blog108【ペットロスが心に刺さった棘となって残っている】

ペットロス

 ネネが昨年(2023年5月31日の自分の誕生日)に嘔吐して、以後、頻繁に嘔吐を繰り返しました。6月に受診、その後、7月の精密検査でネネの小腸にリンパ腫があることが判りました。

 ネネのリンパ腫の余命は、全く何も治療しないと数週間、対処法だけだと数か月、治療をすると中央値で2年と言われました。

 5月31日のネネの誕生日に嘔吐する前には特に何の症状もなく、嘔吐は突然でした。

 愛猫たちの体調に少しでもいつもと異なることがあると、様子を見ずに、直ぐに病院に連れて行っておりましたので、いつもの状態との違いは見逃していないと思います。

 元気、食欲、体温、体重、目ヤニ、鼻水、便の色や形状、尿の色、猫砂に付いている色の確認、猫砂の目の色(目の輝きや黒目)、歯の様子、耳垢の様子などのほか、いつもと異なる行動をしていないかなど、ちょっとでも変わったことがあると、直ぐに獣医師の先生に診てもらいに行っていました。

 これは、2020年3月にトモの尿路結石が判った時に、既にトモの片方の腎臓は尿管に石が詰まって壊死ししており、もう片方の尿管も石が詰まっていたのですが、トモは鳴いたり、嘔吐したりなど、判るように知らせることなく、トイレの砂がピンク色だったことで、動物病院を2箇所かかり、セカンドオピニオンで病気が初めて判ったこと、トモがお腹が痛いのを我慢していたことを思うと、とても可哀想で辛い思いがしたことと、獣医師の先生から「猫は具合が悪いことを隠すのが上手い」と言われたこともあり、それ以降は、猫たちの体調はとても気をつけてチェックするようになっていました。

 そのこともあり、目視出来るレベルでは最速で病院にかかれたと思うのです。

 それなのに、ネネのリンパ腫は判明した時には、余命は「中央値2年」と言われてしまいました。そして、獣医師の先生からは「まずは6ヶ月を目指しましょう。」と言われ、「こんなに急に、6ヶ月を目指す」などと言われるとは、「早いとネネと6ヶ月でお別れとなるかもしれない。」と言われているのと同じでしたので、本当に辛くて悲しい思いがしました。

 ネネは10歳になったところで、まだ若く、健康診断のほか、少しでも何かあれば直ぐに病院に連れて行って、よく診てもらっておりましたので、こんなふうに突然「早く死んでしまうかもしれない。」と言われても、全く信じられませんでした。

 そうは言っても、もう、リンパ腫と告知されたのは事実なので、くよくよしている訳にもいきませんでしたので、治療については、ネネの体調をみつつ、獣医師の先生から提案された治療法については、「抗がん剤」「ステロイド(緩和)」「各種対処法の薬」の全部をしていただいて、少しでも長く一緒にいられるよう「完解」を目指すことといたしました。出来ることは全て行って最大の結果を出したいと思っていました。

 ネネはリンパ腫になる前に、尿路結石となったことがあったのですが、その際、ネネの尿管に詰まった石は大きかったので、尿管を切除し、腎臓と膀胱を直接繋ぐ手術をして、術例が少ない手術で心配もありましたが、ネネは手術を頑張って、完全復活いたしました。

 また、ネネは我が家の3匹の猫砂のうち、運動能力が高く(スポーツカーのように走る、跳躍力も高い)、食欲旺盛、他の猫の面倒をみる、飼い主大好きで飼い主を困らせる猫がいたらその猫を叱りに行くなど、他の2匹に比べると、元気で賢い猫で、上記の尿管切除の手術も、しっかり耐えて、元通り元気になっていたので、今回の小腸のリンパ腫も、「ネネならまた耐えてくれる。飼い主大好き、飼い主ファーストなので、私が悲しむような別れ方はしない。」とネネの復活を信じていました。

 それでも、リンパ腫はやはりこわいのと、リンパ腫が手強くて、もし勝てなかったらどうなるのか…という思いもあり、居ても立ってもいられない不安な気持ちに陥りました。

 ネネと一緒に私が頑張ることで、私の頑張りがネネのリンパ腫の寛解の願掛けになるようなことはないか…と何日間か考え、仕事と介護をしつつ、ネネの闘病経過をブログで毎日のように報告することで、私のネネの闘病を共に闘う決意表明と、またブログを頑張り続ければ、私のネネ寛解への祈りが通じ、「ネネの寛解」が実現するのではないか、ネネが寛解したら、リンパ腫は完治する病気ではないまでも、「ネネが頑張った記録」になるのではないか、ネネが頑張った記録が、他の方にも何かお役に立てることができるなら、更にネネの頑張りにも繋がる(ネネはわかっていませんが)と思い、2023年9月からブログを始めました。「ブログをはじめたきっかけ」については、投稿した記事がありますので、よろしかったらお読みいただけますと有り難いです。

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 ネネのリンパ腫を告知された時の私の心境は、仕事と介護だけだと、願掛けがないので、ネネがこのまま亡くなってしまったら…と思うと怖くて、ネネには辛い抗がん剤治療を受けさせているのに、私も何か強い負荷を受けないといけないというふうに思っていました。

 睡眠時間を削ってでも、仕事・トモとネネの介護・ブログを頑張って、自分に強い負荷をかけつつ、ネネと一緒に頑張って、治療も全てをやり尽くして、それでももし、ネネが死んでしまったら、それはもうやれることは尽くしたと思えるのではないか、私が願掛けしないと、もしネネが亡くなったら、ネネの死に耐えられないだろう…と思い、ネネの闘病記録として、【ねねともきなこ猫介護日記】をつけること、これを頑張ろうと思いました。

 ブログの開設当初は、ネネのことを書くにあたり、ネネの治療の経過がまだ蓄積していなかったので、初めのうちは、トモの尿路結石、尿石症、慢性腎臓病(腎不全含む)の闘病状況を書いて、その後にネネの闘病状況を書き始めました。ネネの寛解を願い、ほぼ毎日、ブログを書き続けました。

 しかし、2023年12月18日に抗がん剤治療の中、ネネは突然、お空に行ってしまいました。

 リンパ腫は治らないので、中央値2年の余命をいかにそこまで到達させるか、そしてその後はどれくらい延命出来るかを目指していくことになるのですが、「もうそろそろ覚悟してください。」という獣医師の先生からの話も出ていない中、半年で、突然亡くなってしまいました。

 ネネが突然亡くなった日のブログはこちらに記載しております。

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 ネネが亡くなった翌日(12月19日)は、呆然としながら葬儀をして、次に1月14日「七七日忌合同供養」を葬儀会社から通知がきたので執り行い、そして2月18日「開眼供養」も葬儀会社から通知がきたので執り行い、法要を進めながらネネの死を受け入れていこうとしました。

 治療のメニュー、仕事と介護(ネネとトモ)、願掛けのブログと、やれること(仕事をしながらトモとネネの介護と可能な治療)は全てやり尽くしたので、後悔はありませんでしたが、後悔はなくても、ネネの死を受け入れるのが辛くて、受け入れを拒絶している感じがしました。

 ネネが亡くなり、心の整理がつかないまま、ただネネの各種法要を執り行い、ネネが亡くなったことをネネが亡くなっていない時のようにいつもどおりブログで報告して、この時はネネの死を全く受け入れられていないまま、普段と同じ行動をとって朦朧としていたのですが、何日かすると、ネネの姿がなくなっていること、大変だった介護も突然なくなり何日か放心状態だったのに私の体力が回復してきたこと、他の猫たちもいるので、しっかりしようとも思い始め、ネネの介護で使っていたものを一つ一つ片付け、ネネを失った寂しさをブログに書いたり、ネネの法要のことをブログに書いたりして、そんなことをして1月を過ごしているうちに、じわじわとペットロスを感じ始めました。

 ネネが亡くなった後、一か月くらいは、半年間の介護で、慢性的睡眠不足で疲れて切っており、そしてネネが居ないと感じた時に後から来るネネを失った喪失感とで朦朧としていたこともあり、ペットロスは当初はそれほどでもなかったのですが、2月頃からじわじわと、介護疲れからの体力の回復と裏腹に、喪失感で停止していた心と頭の中の感情や思いが甦ってきて、「これがペットロスか?」と感じるようになってきました。

 体力が回復した途端、次はペットロスが押し寄せてくる状況になり、とにかく経験したことのない寂しさを感じるようになりました。

 ネネが居なくなって辛い、法要してもネネを手放せる気がしない、失った我が子と簡単に離れられるわけがない、ネネを手放すことで、ネネが毛皮を着換えて生まれ変わって他の家の猫になってしまったら私とはぐれてしまうからネネには生まれ変わらずお空で待っているように言わないといけない、でも今ネネが居なくて寂しい、ネネの死で他の子(トモときなこ)たちと大切に時間を過ごすようになったけれど、ここにネネだけが居ないのは辛い、どうしたら良いのか…ネネが居なくなって、トモやきなこはブログで色々書けるけれど、ネネはもうブログに書けない、ネネは独りでお空で待っていて寂しいだろうなど、そのようなことを考え始め、2月頃からペットロスで辛くなってきました。

 そのような中、ふと、「そうだ、【ねねともきなこ猫介護日記】のロゴマークを制作していただいた、イラストレーターのたむ様に、ネネのイラストを書いてもらおう。たむ様ならネネを可愛く描いてくれるに違いない。ネネがイラストになれば、ネネもブログに飾ってあげられる。トモときなこと一緒にブログに書いてあげられる。そうだ、ネネは亡くなったのではなく、イラストになっただけだ、私も母親として、まだネネにしてあげられることがまだあるではないですか!」と、ペットロスから気分が一転、⤴⤴⤴になり、たむ様にお願いして、ネネのイラストをネネに似せて制作していただきました。

 ネネの特徴を細かく伝えて描いていただき、ネネに似たイラストが出来ました。とても嬉しいです。

 ネネのイラストの著作権譲渡書を送っていただいたり、ネネをブログに登場させる準備をしたりと、少し時間を要していますが、そういう作業をしていると、ペットロスの辛さは緩和されている感じです。大切なネネが帰ってきて嬉しいです。

 そのほかに、ネネの誕生会もいつもどおり行ったり、ネネの初盆でネネの帰りを迎える準備をしたり、姿は見えないですが、まるでまだ亡くなっていないかのように行事を行って、これもペットロスの緩和となっています。

 ペットロスから逃げているのか、向き合っているというのかと言うと、逃げているというか、手を変え品を変え、ネネのために何かをして、ペットロスを誤魔化している感じです。

 ネネがいないペットロスは、時間が経っても癒えることはないので、ずっとペットロスを誤魔化し続けることになるのではないかと思っています。

 ブログをし続けているのも、ネネのいない寂しさから避けるために、また、ネネのイラストををブログに掲載出来たら、ネネと会えるので、ネネをいつまでも大切にしてあげられるので、ブログもずっと頑張っている感じです。

 介護日記のブログがどなたかのお役に立つことになれば、ネネも私も更に嬉しく思います。

 ネネのブログがどなたかかのお役に立つことが出来たら、ネネが居なくなったペットロスと置き換わる感じになり、ペットロスが少し消化出来るような気がします。

 このように、ネネが亡くなってしまい、ネネへの思いが心に刺さった棘となって残っており、このペットロスは時間とともに、若干、小さくなりますが、心の中に突き刺さったまま完全にはなくなりません。

 結局、ネネが亡くなった寂しさを無理矢理エネルギーにして、ネネがまだ生きているようにいろいろな行事(誕生会を開催したり、姿が見えなくなったネネのイラストを作ってブログに迎える)などを行って、ペットロスを誤魔化しながら、ペットロスと闘って、ペットロスがぶり返して来こないように、休まず努力して、最後に私もお空に行った時、やっとネネと再会して、お空でネネと再会した時、ネネを抱っこして、「ネネちゃん、お母さんどうやった?」と聞くためにやっている気がします。

 お空に行くまでは、いろいろ頑張って、お空で再会した時、はじめて心の中の棘が取れてなくなるのではないかというふうに思います。

 次回は、Blog109【初盆でネネが帰ってきました】を投稿いたします。

【ねねともきなこ猫介護日記】      サイトマップをまとめました

❶尿路結石・尿石症              トモ・・・積極的内科治療           ネネ・・・外科手術(腎臓と膀胱を直接繋ぐ)  ❷消化器型リンパ腫(低グレード→高グレード) ネネ・・・抗がん剤、緩和措置          ❸外鼻孔狭窄                 トモ・・・外鼻孔狭窄拡張手術          ❹骨軟骨形成不全               トモ・・・経過観察(レントゲン写真あり)

いつもお読みくださりありがとうございます🙇

ねねともきなこ🌸

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